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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)3376号 判決

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

西口徹

水田利裕

被告

大阪府

右代表者知事

中川和雄

右訴訟代理人弁護士

井上隆晴

青本悦男

細見孝二

右指定代理人

毛利仁志

外四名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する平成二年五月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、詐欺罪で逮捕されたが勾留されることなく釈放された原告が、捜査機関の後記各違法行為により精神的苦痛を被ったとして、国家賠償法一条一項に基づき、損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  当事者等

(一) 原告は、訴外A産業株式会社(A社)の前代表取締役亡甲野K(K。昭和六一年二月九日死亡)の長男であり、訴外甲野B(B)は、Kの次男であってA社の代表取締役の地位にある者であり、訴外甲野L(L)は、原告及びBの母であってA社の監査役の地位にある者である。

本件当時、原告及びLとBとの間で、Kの遺産相続を巡り、紛争があった。

(二) 訴外八木脩(八木刑事)は、大阪府警の警察官であって、昭和五九年から同六三年秋まで大阪府東警察署(東署)刑事課捜査二係主任の地位にあった者である。

2  原告の逮捕等

(一)(1) 東署の警察官(東署員)らは、A社代表取締役Bからの告訴を受けて捜査を進め、昭和六二年五月一一日(以下、特に断りのないかぎり、元号は昭和六二年であることとして、その記載を省略する。)午前一〇時一〇分ころ、大阪市中央区所在の日航ホテル大阪(日航ホテル)に宿泊していた原告に対し、同署への任意同行を求め、同署において、同日午前一〇時五〇分から午後零時まで及び午後零時三〇分ころから同五時三〇分ころまで事情聴取を行い、同日午後二時三〇分ころ、大阪地方裁判所裁判官に後記詐欺の事実で逮捕状を請求しその発付を得た上、同日午後五時五〇分、右逮捕状を執行して、原告を通常逮捕した(本件逮捕)。

(2) 原告に対する詐欺の被疑事実の要旨は、A社代表取締役Bの実兄である原告が、同社の前代表者で実父のKが同社保有の株券を一括管理していたまま昭和六一年二月九日に病死したのを奇貨として、右株券をほしいままに売却して金員を得ようと企て、昭和六一年四月二五日ころ、千代田証券株式会社(千代田証券)本店において、情を知らない同店係員に対し、「私は大阪のCという者で、これら株券の持主であるA社の身内の者であり、同社名義の株券の売却について社長のBから任されている。このとおりA社の株主届出印も持っている」旨申し向け、真実は、A社からもBからも右株式の売却について委任されたことがないのに、その旨委任されているように装い、右株式の売却を申し出たが、原告が所持していた株券中に、通常市場では売買取扱をしない住友銀行株一万株券二枚が含まれていたことから、この二枚の株券については一〇〇〇株券二〇枚に分株しなければ売却できないと知らされるや、その場において、同店備付の委任状用紙を使用して、住友銀行株式二万株を譲り受けており、これを分割したい旨の委任状の譲受人氏名欄に「A社代表取締役B」と記入し、その名下にKと刻した印鑑を押捺してA社代表取締役B名義の委任状を作成した上、これを即時同所において、右係員に対し、真実Bから委任を受けているかのように装って提出し、右係員をしてその旨誤信させ、その際C及びA社の各株式取扱口座を開設した上、右二万株が分割された後の昭和六一年五月二三日ころ、右C名義の口座において、住友銀行株二万株(本件株式)を三五七五万一八〇〇円で売却し、同月二八日ころ、協和銀行九段支店において、右売却代金全額の交付を受けてこれを騙取した、というものであった(本件被疑事実)。

(二) また、東署員らは、大阪地方裁判所裁判官に対し、前記逮捕状とともに捜索差押許可状を請求しその発付を得た上、五月一一日、本件逮捕直前にホテル日航の原告宿泊室内を、同月一二日、原告の経営する訴外D社の事務所である東京都千代田区〈以下略〉及び千代田区〈以下略〉並びに原告の自宅である千代田区〈以下略〉を、それぞれ捜索し、D社の帳簿書類伝票等を押収した(本件捜索差押)。

(三) 原告は、五月一三日、大阪地方検察庁検察官に送致され、同検察官から、大阪地方裁判所裁判官に対して勾留請求の手続がとられ、勾留質問のためいったん同裁判所に連行されたものの、検察官から釈放する旨の通知があり、同日午後二時三〇分、釈放された。

(四) 原告の釈放後も、本件被疑事実については、任意捜査が継続されたが、最終的に不起訴処分として処理された。

3  捜査資料のコピーの交付

東署員は、原告の逮捕当日である五月一一日、本件被疑事実にかかる捜査の過程で証券会社から入手していた、C名義の口座で処分された株券の銘柄、株数、名義人等の明細を記した書類(本件明細書)のコピーを、Bに対して交付した。Bは、原告を相手方とする、Kの遺産を巡る民事裁判において、右書類を証拠資料として提出した。

4  原告とBとの話合い

原告は、釈放された五月一三日の午後四時ころ、Bとの和解金として金二億円を引き出すため、原告の預金口座がある第一勧業銀行堺筋支店に赴き、その際、八木刑事も、右引出しに必要な証書及び印鑑を所持して原告に同行したが、その場で金員を引き出すことはできなかった。原告は、銀行を出た後、助言を受けるため淀屋橋合同法律事務所に赴き、八木刑事もこれに同行した。同事務所では、原告は、一人で室内に入って、同日午後六時ころまで、弁護士辻武司(辻弁護士)らと話合った。

同日午後七時から八時までの間、ホテルひし富において、原告とBとの間で話合いが行われた。右席上には、原告側からは、原告本人及びその妻であるMが、B側からは、B、その妻、A社重役小澤某及び告訴代理人である弁護士成瀬寿一(成瀬弁護士)がそれぞれ出席し、八木刑事もこれに立ち会った。

二  争点

1  本件逮捕及び捜索差押の違法性

(原告の主張)

(一) 罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由

原告は、A社代表取締役Kから、本件株式の生前贈与を受けており、本件株式の正当な権利者であった。また、本件当時、原告は、告訴人代表者であるBとの間で、Kの遺産を巡って係争中であったから、東署員らは、同社からの告訴にかかる犯罪事実の存否、特に、本件株式にかかる株券の入手経路について特に慎重に調査すべきであり、そうしていれば、原告が本件株式の権利者であることが容易に判明し得たにもかかわらず、同署員らは、十分な捜査を尽くさないまま、原告について詐欺罪が成立すると速断し、安易に逮捕状を請求してこれを執行した。

(二) 逮捕及び捜索差押の必要性

(1) 原告は、四月末ころ、協和銀行九段支店および第一勧業銀行堺筋支店からの連絡により警察が捜査していることを知って、直ちに、麹町警察署を通じて東署に事情を聞いてもらうとともに、その住所、居所及び会社営業所を知らせ、何時でも出頭する旨を告げていた。

(2) 東署員らは、五月一一日午前中、原告の説明を受けて既にKの印鑑を入手しており、また、株式口座表、勘定表、伝票等、騙取金の受取を表す計算書、預貯金通帳等は、証券会社や銀行から容易に入手し得るものであるばかりか、原告は、当初からCの印鑑の使用を含む事実関係について全て認めていたのであって、罪証湮滅のおそれは存在しなかった。

(3) D社の帳簿書類伝票等の差押は、本件被疑事実と何ら関係がなく、その必要性、相当性を欠くものであった。

(被告の主張)

(一) 罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由

東署員らは、A社からの告訴を受理した後、Bからの事情聴取、証券会社担当者からの事情聴取等の捜査を進めた結果、以下の事実が判明した。

(1) A社の前期資産報告書に記載された住友銀行株券のうち、告訴対象となった五万〇〇五二株が所在不明となっていた。

(2) 右株券のうち一万株券二枚は、千代田証券において一〇〇〇株券二〇枚に分割された上、C名義の取扱口座において売却されていた。

(3) 右株券分割手続におけるA社の委任状には、作成者として同社代表取締役Bとの記載があったが、それは原告の筆跡であり、同名下には、株主届出印であるKの印が押捺されていた。

(4) 右委任状の作成及び口座開設を行った人物は、「A社の身内であるCに頼まれてきた」などと説明していたが、右Cの住所として届け出られたところは該当地が存在せず、その届出電話番号も原告の実母のものであって、右Cの実在は疑わしかった。

以上の事実から、原告がA社所有の住友銀行株券の分割等について、同社名義の委任状を偽造して千代田証券を欺岡し、右株式の売却代金を詐取したとの本件被疑事実が判明したが、更に、東署に任意同行した原告から事情聴取を行ったところ、原告は、Cに株券の処分を依頼されたと述べつつも、ほぼ大筋で犯行を認める供述をした。

(二) 逮捕及び捜索差押の必要性

(1) 原告は、その住所地に不在であるばかりか、その経営するD社の事務所も閉鎖同様の状況であり、所在不明のまま連絡がとれず、四月三日から五月一五日までホテル日航に宿泊予約していたものの、その間の現実の宿泊人数は一名又は二名と変動しているなど、住居が特定しないという状況であった。

(2) 原告は、犯行に使用したK及びCの各印鑑、株式口座表・勘定表・伝票等、騙取金の受取を表す計算書、預貯金通帳等を所持している可能性が高く、告訴を知ってA社従業員に連絡を取り様子を窺うなどしているところから、罪証湮滅のおそれもあった。

2  捜査資料のコピー交付の違法性について

(原告の主張)

東署が捜査中に入手した資料のコピーをBに交付したことは、地方公務員法三四条一項の守秘義務に違反し、違法である。

(被告の主張)

告訴につき捜査を進めていく中で、C名義の口座において本件株式にかかる株券以外にも多数の株券が処分されていることが判明し、事案の解明のために、これら株券全ての真実の保有者を早急に特定する必要があったため、A社に右特定を求めたところ、同社から株券の銘柄、株数、株券の記号・番号、名義人の明細を要求され、内容も多いことから、やむをえない処置として、Bに対し、他の目的に流用しないこと、用済後は返却することを確認した上で、千代田証券から入手済みの本件明細書のコピーをBに交付したものであって、右措置に違法な点はない。

3  和解に関する八木刑事の言動の違法性について

(原告の主張)

八木刑事は、五月一三日午後二時ころ、大阪地方検察庁内において、原告に対し、「検事から和解させるようにといわれている、Bと相続について和解せよ、和解するために第一勧業銀行に行き、金二億円を出せ」と述べて、第一勧業銀行堺筋支店に赴き、原告の口座から金二億円を引き出すよう強要した上、更に、「言うことを聞かないと、こちらにも考えがある、今夜七時に、ホテルひし富でBとの話合いの席が設けられているので出席するように」と述べて出席を強要し、右席上において、原告に一方的に不利な和解に応じるよう求めた。

八木刑事の右言動は、原告において義務のないことを強要しようとするものであって、違法である。

(被告の主張)

八木刑事は、原告を釈放する旨Bに伝えたところ、同人から、今日中に原告と会って話し合いたい、その際是非立ち会ってほしい旨要望された。そこで八木刑事は、Bの右要望を原告に伝えたところ、原告は、告訴を取り下げてくれるのであれば会ってもよいが、本件株式の売却代金を返せという話になるだろうから、第一勧業銀行堺筋支店に自分の金があるので用意したい旨希望した。ところが、出金に必要な証書と印鑑は押収済みであったため、八木刑事においてこれらを所持して原告と同行することとしたものである。また、ホテルひし富での立会についても、八木刑事が原告に対し、Bが右ホテルで会いたいと言っている旨伝えたところ、原告が八木刑事も立ち会ってくれるよう希望したため、八木刑事も、話合いの結果如何では、事件の処理に影響することになると考え、これに立ち会って内容を確認することとしたものである。

八木刑事が原告に対して話合いへの出席を強要したり、和解案を提示してこれを受諾するよう強要したりしたことは一切なく、何ら違法な行為は存在しない。

4  損害(原告の主張)

原告は、東署員ら又は八木刑事の前期各違法行為により、多大の精神的苦痛を被った。その苦痛を慰謝するには、合計金五〇〇万円が相当である。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件逮捕及び捜索差押の違法性)について

1  証拠によれば、東署員らが本件逮捕及び捜索差押を行うに至った経緯につき、以下の事実を認めることができる。

(一) 東署は、四月二〇日、A社代表取締役Bから、成瀬弁護士を通じて、原告及びLの特別背任罪等による告訴を受理した。右告訴の内容は、A社の監査役として同社保有の株券を保管する任務を有するLが、同社株主である原告と共謀の上、取締役会の議決を経ることなく、同社保有の株式会社住友銀行(住友銀行)株五万〇〇五二株を、昭和六〇年二月ころから昭和六二年三月ころまでの間に順次売却し、その売却代金をA社に入金することなく、同社に対して損害を与えた、というものであった。

(二) 東署では、右告訴にかかる事件(告訴事件)について、八木刑事を中心として捜査にあたることとし、本件逮捕に至るまでの間、五、六回以上にわたり告訴人代表者であるBから事情聴取をしたほか、関係する銀行及び証券会社担当者からの事情聴取その他の裏付捜査を行ったところ、以下の事実が判明した。

(1) 千代田証券の担当者からの事情聴取によれば、昭和六一年四月二五日ころ、A社の経営者ないし身内と名乗る人物が、協和銀行の紹介を受けて来店し、同証券担当者に対し、持参した株券を売却したいが、都合により実名を出すのは困るのでCという架空人名義で口座を開設したい旨申し出たため、これに応じてC名義の口座を開設し、そのころ、右口座において、同人が持参した株券にかかる株式の売却を行った、とのことであった。更に、右人物が持参した株券の中には、A社名義の住友銀行株一万株券二枚が含まれていたこと、これらはそれぞれ一〇〇〇株券に分割する手続をとった上で売却されていることの各事実が判明した。

(2) 協和銀行の担当者からの事情聴取によれば、前記(1)の口座開設と相前後して、同銀行にもC名義の口座が開設されており、千代田証券を通じて売却された前記株式売却代金が、同証券のC名義の口座から協和銀行の右口座に入金される取扱いになっている、とのことであった。なお、右口座に入金された本件株式売却代金は、既に引き出されてしまっていた。

(3) 住友銀行の株式担当者からの事情聴取によれば、同銀行の一万株券は、同銀行に提示して分割手続を経ないかぎり市場で流通させることができず、A社名義の一万株券二枚については、Kが生前一〇〇〇株券等をまとめて一万株券に換券したものである、とのことであった。

更に、八木刑事は、同銀行から、前記一万株券の分割手続に使用された書類として、委任状及び分割依頼書の任意提出を受けたが、右書類上には、委任者として、「A社代表取締役B」との記載と、株主登録印である「K」と刻した印影が認められた。Bに右書類を示したところ、右記載の文字は原告の筆跡であるが、Bが原告に右株券分割を依頼したことはない、とのことであった。

(4) なお、B及びA社役員の供述によれば、本件株式にかかる株券は、生前Kが管理しており、A社内の金庫か、同社名義の銀行の貸金庫又はK個人名義の銀行の貸金庫のいずれかに保管されていたはずであるが、昭和六一年八月ころ、同社の決算のために調査したところ紛失しているのがわかった、とのことであり、これを受けて東署員らが捜査したところ、現在同社名義の住友銀行株券が前記各金庫内に存在しないことは確認できたものの、原告が右株券を入手した経路については解明に至らなかった。

(5) 他方、Cという人物の所在捜査としては、銀行又は証券会社の口座台帳の記載を基に、C名義の口座開設時に届出のあった「大阪市東区〈以下略〉E方C」について、東署員が現地に赴いて調査したところ、同地には会社事務所のみが入居するビルが存在していて、人の住居として使用されている形跡が認められず、また、東区内における「E」姓の居住者について区役所に照会したところ、過去に一名の該当者が存在したものの、昭和六一年三月ころには既に他県に転居しており、告訴事件とは無関係であることが判明した。更に、C名義で銀行又は証券会社に届出のあった電話番号については、照会の結果、Lが以前居住していたジーエスハイムの電話番号であることが判明した。

(6) これらの捜査と併せて、東署員らは、原告の所在等につき、Bに確認した原告の住所地〈略〉及びD社の事務所〈住所略〉の三か所について捜査を進めた。まず、右事務所に電話したところ、いずれかの事務所では、事務員と名乗る女性が応対したが、社長の居所はわからない、ということであった。続けて、五月六日ないし八日ころ、東署員が現地に赴いて調査したところ、三か所とも人の出入りは認められず、付近の住民に聞いても、原告の所在については確認が取れなかった。また、そのころ、前記三か所にそれぞれ一度ずつ電話をしたが、誰も応対する者がなかった。

その後間もなく、A社の従業員が原告から呼出を受けたことから、原告がLとともに日航ホテルに宿泊していることが判明した。そこで、東署員が同ホテルに赴いて聞き込み捜査を行ったところ、四月三日から五月一五日まで原告及びLの宿泊予約が入っているが、原告は時折他所に出ており、実際には宿泊が二人になったり一人になったりしているため、原告が何時の時点で現実にホテルにいるかはわからない、とのことであった。

(三) 東署員らは、五月一一日午前一〇時一〇分ころ、日航ホテル内にいた原告に対して任意同行を求め、同一〇時五〇分ころ以降、東署において、原告から事情聴取を行った。

原告は、本件株式の売却依頼を行ったこと及びA社代表取締役B名義の前記委任状を作成したことを認め、Kの印鑑については、日航ホテルの居室内の原告の背広ポケットに入っている旨述べたものの、他方で、株式については、名義人が誰であるかにかかわりなく、株券を所持しているものが所有者である旨主張し、Cという人物から依頼を受けて本件株式の売却を行った旨供述した。

東署員らは、入手済みの前記(二)記載の情報を踏まえ、また、原告の供述をも考慮して、原告が本件被疑事実を犯したと疑うに足りる相当な理由があるものと判断し、更に、前記宿泊状況等から、強制捜査を行う必要性があるものと判断して、大阪地方裁判所裁判官に対し、逮捕状及び捜索差押許可状を請求し、その発布を得て、本件逮捕及び捜索差押を行った。

以上の事実が認められる。

右(二)(6)認定の事実に関し、原告は、その本人尋問において、第一勧業銀行の担当者から、東署が本件株式にかかる株券等について調査していることを聞いたため、五月初めころ、自分の居住地区を管轄する麹町警察署へ出向き、自分の住居所を同署から東署へ連絡してもらった旨供述するが、当時の事件担当者であった八木は、そのような連絡を受けたことはない旨証言しているばかりか、原告は、そのころ頻繁に大阪を訪れ、宿泊するなどしていたにもかかわらず、捜査を担当している東署に直接問い合せ等することなく、捜査とは無関係な東京の警察署にわざわざ連絡を取ったというのはいかにも不自然不合理であって、原告の右供述を、そのまま信用するわけにはいかない。

また、原告は、その本人尋問において、任意同行後の取調べの際、本件株式にかかる株券はKから贈与されたものである旨弁解したにもかかわらず、担当刑事は、その旨の調書を作成することなく、Cという人物が実在することを前提として、これを原告に認めさせようとする尋問を執拗に行い、その結果、原告は、やむなく本件株式にかかる株券を右山口から依頼されて処分した旨の供述調書に署名捺印した旨供述するけれども、右取調べの時点では、既に前記(二)(1)ないし(5)のような捜査結果が得られていたのであって、この事実と八木証言に照らせば、この時点において、捜査を担当していた東署員らは、Cは実在しない架空の人物である蓋然性が高いと判断していたことが認められるのであるから、殊更原告に対し、Cが実在する人物であることを認めさせようとして尋問を行うなどということは、通常考え難いことというべきであって、原告の右供述は、反対趣旨の八木証言に照らし、たやすく信用することができない。

2  前記認定事実に基づいて、本件逮捕及び捜索差押の違法性について判断する。

(一)  逮捕又は捜索差押を行うにあたっては、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由が必要とされることはいうまでもないが、その後の捜査の結果、最終的に不起訴処分になったというだけで、右各措置が違法となるものではなく、逮捕又は捜索差押の行われた時点において既に収集されていた資料及び事案の性質上当然行われるべき捜査によって得られたであろう資料を前提として、捜査機関において資料の評価判断に重大な過誤があり、あるいは、当然なすべき捜査をしなかったなど社会通念上著しく合理性を欠く捜査が行われた結果、逮捕又は捜索差押に至ったと認められる場合にはじめて、そのような逮捕又は捜索差押の手続は、国家賠償法一条一項所定の賠償責任発生の要件としての違法性を帯びるに至るものと解すべきである。

これを本件についてみるに、前記1認定の事実関係からすると、本件逮捕及び捜索差押の当時において、原告がA社名義の本件株式を同社代表取締役であるBに無断で売却したこと、その際、同社代表取締役B名義の委任状をBの承諾を得ることなく作成し、これを千代田証券の担当者に対して提示するなどして、あたかもA社から本件株式の分割、売却等についての権限を授与されているかのようにふるまっていたことが明らかになっており、他方、本件株式の名義並びにB及びA社役員らの供述等に照らし、本件株式が一応A社の保有するものと判断するに十分であり、このような事情に加えて、前記1(二)認定のとおり、架空人口座を新たに開設して本件株式を売却していること及び同1(三)認定のような原告の弁解状況等を総合すると、原告とBとの間でKの相続財産を巡って紛争関係にあったとの事実を十分考慮してみても、なお、本件逮捕及び捜索差押の時点において、原告が本件被疑事実にかかる犯罪を犯したと認めるに足りる相当な理由があるとした捜査機関の判断過程に格別不合理と目すべき点は見当たらないというべきである。これに対し、原告は、本件株券の入手経路について捜査が不十分である旨主張するけれども、前記1で説示したとおり、原告が任意同行後の取調べの際、本件株式にかかる株券をKから贈与された旨の弁解をしていたとの事実は、これを認めることができないばかりか、仮に、原告が右のような弁解をしていたとしても、捜査機関において原告の右弁解を裏付ける客観的な資料を入手しており、あるいは容易にこれを入手し得たというのであれば格別、単に原告が右のような弁解をしていたというだけでは、本件逮捕及び捜索差押の時点において、犯罪の嫌疑に関する捜査機関の右判断が、社会通念上著しく合理性を欠くとまでいうことは到底できないから、いずれにしても、原告の右主張は、採用することができない。

(二) 更に、前記1(二)(6)認定のとおり、原告の住所地及びその経営する会社の事務所等に赴いて捜査した結果、原告の居住実態が判然としなかったこと、前記1(三)認定のとおり、原告は、Cから依頼されて本件株式を処分した旨述べるなど、本件被疑事実の重要部分を否認する供述をしていたことに加えて、八木証言によれば、本件株式の売却代金については、C名義の銀行口座から引き出された後、その所在が明らかでなかったこと、同人名義の口座開設に使用された同名義の印鑑が発見されていなかったことなどが認められ、これらの事実に照らせば、逮捕及び捜索差押等の強制捜査を行う必要性が存在するとの捜査機関の判断についても、格別不合理な点は見出し難い。なお、D社の帳簿類等については、本件被疑事実に至る動機やその背景事情に関係する可能性があるわけで、本件被疑事実と無関係であるとまでいうことはできないから、右帳簿類等の差押についても、必要性を欠き社会通念上著しく不合理なものということはできない。

(三) したがって、本件逮捕及び捜索差押が違法である旨の原告の主張は、採用することができない。

二  争点2(本件明細書のコピー交付の違法性)について

1  証拠(八木証言及びB証言)によれば、八木刑事がBに本件明細書のコピーを交付した経緯について、以下の事実が認められる。

本件逮捕にかかる被疑事実は、原告がC名義の口座を使用して売却した五万株以上の株式のうち、A社名義の本件株式二万株のみを対象とするものであったが、その余の個人名義等の株式についても、告訴の対象となっており、その権利者如何によっては、原告に余罪が成立する可能性もあったことから、捜査機関としては、勾留請求時を目処に早急に右株式の保有関係を明らかにする必要があった。そこで、八木刑事は、五月一一日ころ、Bに対し、C名義の口座で売却された株式の券番号、名義等を記載した本件明細書を示した上、この中にA社保有の株式があるか調査するよう依頼した。そこで、Bは、当初、右明細書の内容を書き写そうとしたが、B五版用紙で一五枚程度と相当な分量があり、時間的に切迫していたこともあって、八木刑事は、Bからの依頼に応じ、本件明細書をコピーして、これを同人に交付することとした。その際、八木刑事は、Bに対し、本件明細書を他の用途に使用しないこと、用済後は返却することを確認した上、右コピーを同人に交付した。

その後、告訴事件の担当者が八木刑事から他の刑事に交替したこともあって、右コピーの返却を受けないままになっていたところ、Bは、原告との間の民事訴訟において、八木刑事等に告げることなく、右コピーの一部を証拠として提出した。

以上の事実が認められる。右認定に反する証拠は、存在しない。

2 捜査機関が捜査を行うにあたっては、一般に、捜査上入手し得た秘密を厳守し、事件関係者の名誉を害することのないよう努めるべきことはもちろんであるが(犯罪捜査規範九条参照)、他方で、捜査を進めるにあたり、既に入手し得た資料等を関係人に示すなどしてその内容を開示する必要が生じる可能性があることもまた容易に首肯し得るところであって、捜査機関において、捜査上の必要性に基づき、相当と認められる方法により、必要な限度で入手資料等の内容を関係人に開示することは、何ら違法とすべき理由はないと解されるところ、右1認定の経緯に照らせば、八木刑事は、捜査上の差し迫った必要性に基づき、本件書類の分量及び筆写に要する時間等を考慮して、他の用途に流用しないことを確認した上で本件資料のコピーをBに開示したというのであって、開示された内容も原告の純粋なプライバシーにかかわる事項ではなく、本件被疑事実と極めて密接に関連する株式の売却についての資料であることをも考慮すれば、八木刑事が本件明細書のコピーをBに交付したことは、捜査の必要上やむを得ない措置というべきであって、これをもって違法ということはできない。

三  争点3(和解に関する八木刑事の言動の違法性)について

1  〈証拠省略〉弁論の全趣旨によれば、原告の釈放及び和解交渉の経緯について、以下の事実を認めることができる。

(一) 八木刑事は、五月一三日、勾留質問のため、原告を大阪地方裁判所に同行し、同所に待機していたが、正午近くになって、担当検察官から、原告の勾留請求を中止するとの連絡があったため、そのまま検察庁へ戻り、検察官から釈放指揮を受けることとした。その際、八木刑事は、担当検察官から、告訴事件について原告とA社代表取締役Bとの間で示談の余地はあるのか、との質問を受け、兄弟が全く不仲であるため何とも言えない旨回答した。

(二) 八木刑事は、同日午後、東署に戻ってまもなく、Bに対し、原告を釈放することを電話で連絡し、原告の方も反省しているようである旨告げて、和解の意向を打診した。Bは、右連絡を受けて直ちに、成瀬弁護士に連絡をとり、原告が釈放された後どうするのがよいか助言を求めたところ、同弁護士は、それでは八木刑事に中に入ってもらうよう頼んで原告と話合いをしてはどうか、と述べた。そこで、Bは、同弁護士と相談の上、原告と話合いをすることを前提に、A社名義の株式については、原告が処分した価額を同社に返還すること、かねて紛争の対象となっていた預金、有価証券等については、それぞれの名義人に帰属することを確認すること、L及び原告が所有するA社の株式については、同社又はBが買受けることなどを、B側の提案として原告に提示することとした。Bは、折り返し八木刑事に電話をかけ、同日ホテルひし富で原告と話合いたいので、八木刑事にも是非立ち会ってもらいたいと述べた上、概ね上記のような内容で和解したいと考えていること、原告はすぐに前言を翻す傾向があり、また、株式の売却金等を隠匿していると考えられるので、和解するのであれば原告の側である程度の金員を持参するなどして誠意を見せることが必要である旨告げた。

(三) 他方、八木刑事は、原告に対し、釈放する旨告げた上で、Bとの和解の意向を打診したところ、原告は、Bに対して相当立腹している様子であったが、Bと会って話合いをすることについては同意した。八木刑事は、原告がBとの民事紛争の関係で辻弁護士に依頼していることを認識していたため、双方の弁護士が間に入って話合いを進めることが望ましいと考え、原告に対してBから提示のあった前記和解条件の概略を伝える一方、辻弁護士にも電話をかけて同様の趣旨のことを述べた。

原告は、これに対し、いくらかの金員を持参して話し合うのはよいが、預金証書等を捜査機関に押収されているため、金員を準備することができないと回答した。そこで、八木刑事は、原告の印が届出印とされている第一勧業銀行堺筋支店の無記名定期預金について、証拠物として押収済みの証書及び届出印鑑を所持し、原告が右預金を引き出すのに同行することとした。八木刑事は、事前に東署から第一勧業銀行に電話をかけ、右預金の払戻が可能か確認したところ、同銀行は、直ちに現金を準備することはできないが、原告が印鑑と証書を持参すれば銀行振出の小切手で支払うことは可能である旨回答した。

(四) そこで、八木刑事は、同日午後三時過ぎころ、原告の釈放手続が終了した後、右証書及び印鑑を所持して原告とともに第一勧業銀行堺筋支店に赴いた。

ところが、同銀行は、事前に右預金の払戻について辻弁護士に確認したところ、その了承が得られなかったため、態度を変更し、八木刑事及び原告からの預金払戻請求に応じようとしなかった。

同日午後四時三〇分ころ、同銀行で交渉を行っている間に、八木刑事は、電話で辻弁護士と話をしたところ、同弁護士は、直ちに原告を同弁護士事務所に寄越すよう求めた。

(五) そこで、原告は、同銀行を出て辻弁護士の所属する淀屋橋合同法律事務所へ赴いた。八木刑事もこれに同行したが、同法律事務所では、原告のみが室内に入り、約五〇分間にわたって辻弁護士らと面談し、八木刑事は、その間、室外で待機していた。辻弁護士は、原告に対し、同日夜に予定されているBとの会合について、B側から提示されている和解案に応じるかと尋ねたところ、原告は、応じられないと述べたため、同弁護士は、それでは今夜の会合では書面に捺印等しないようにと助言した。この際、原告は、同弁護士に対し、時間の都合がつけば会合に立ち会ってもらいたいと述べたものの、特に強く立会を依頼することはなく、また、八木刑事の言動等について同弁護士に不満を述べたりすることもなかった。他方、辻弁護士も、他に予定があるので会合には出席できない旨述べたのみで、原告が会合へ出席することに反対したり、八木刑事に対してその言動等につき是正を求めたり等することは一切なかった。

(六) 八木刑事は、弁護士との面談を終えて出てきた原告に対し、同日午後七時からホテルひし富で会合が行われる予定である旨告げた。そこで、同刑事は、いったん原告と別れたが、原告とBとの話合いの内容如何によっては、本件被疑事実について、今後の事件処理にも影響する可能性があることから、結局、両人間の会合に立ち会うこととした。

(七) 同日午後七時から八時までの間、ホテルひし富において、原告側からは原告本人及びMが出席し、B側からはB、その妻、A社重役及び成瀬弁護士がそれぞれ出席して話合いが行われ、八木刑事もこれに立ち会った。

右席上において、八木刑事は、原告及びBに対し、親族間のことでもあり、兄弟仲良くしてなるべく早期に和解するようにとの趣旨を述べたが、原告及びBが互いに感情的になって口論を始めるなどしたため、和解金額等の具体的な内容を提示して意見を交換するまでには至らなかった。成瀬弁護士は、右席上での基本的な合意事項として、今後原告及びBの間で平和的な話合いを継続する旨の書面を作成することを提案したが、原告が拒否したため、これも作成されなかった。結局、成瀬弁護士が後日原告側の弁護士と連絡をとって話合いを進め、話がまとまれば八木刑事に連絡することとして、その場は散会した。

以上の事実が認められる。

2  原告は、八木刑事に和解案の受諾を強要された旨主張し、その本人尋問において、これに沿うかのような内容の供述をしているけれども、右供述内容は、極めて抽象的かつ曖昧であって、具体的に八木刑事のどのような言動をとらえて強要されたというのかその趣旨が明確でない。

かえって、前記1認定の経緯に鑑みれば、八木刑事は、原告とBの間の話合いの内容が今後の捜査に影響する可能性があったことなどから、両者間の和解についてその仲介の労を取り、一方の意向を他方に伝えたり、また、依頼に応じて話合いの席に立ち会ったりしたに過ぎないとみるべきであって、八木刑事において、原告の意思を制圧してその諾否の自由を奪い、一定の和解案の受諾を強要したということは到底できない。なお、原告は、その本人尋問において、取調中の八木刑事の言動から、和解に応じることを拒絶すれば不利益を被るものと考え、これを恐れていた旨供述するけれども、他方、前記1で認定したとおり、原告は、ホテルひし富での会合に出席する直前に淀屋橋合同法律事務所を訪問し、八木刑事の立会なくして同事務所所属の辻弁護士らと約五〇分にわたって面談しているにもかかわらず、同弁護士に対して右会合への出席を強く求めるとか、八木刑事から和解を強要されている旨告げて助力を求めるとかすることは一切なく、したがって、辻弁護士から八木刑事に対し、和解に関する同刑事の言動について疑問を呈したり、是正を求めたりすることもなく、また、同弁護士の立会なく原告が右会合に出席することについても何ら異を唱えることもなかったというのであって、これら諸点に照らすと、原告の右供述をそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。

他に、八木刑事が原告に対して和解に応じることを強要したとの事実を認めるに足りる証拠はなく、原告の前記主張は、採用することができない。

第四  結論

以上によれば、原告の請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官佐々木茂美 裁判官瀨戸口壯夫 裁判官田中秀幸)

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